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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる左・真木柱の姫君・右・髭黒大将
閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
閉じる髭黒大将の背中に灰をあびせる北の方
閉じる中央・真木柱の姫君
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。1936年 初拓 蘇孝慈墓誌銘 検索:支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本拓本 雅印 遊印 柯羅。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。1954年 涙の踊り子 初版本 矢野聖二 寿丹社 仙花紙本 手書き表紙 157頁 少女小説 検索: 中原淳一 古書 古本 古漫画 挿絵 絵本 図版 稀覯本。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。1692年 装束圖 木刻本 検索: 武道 武具 弓矢 弓箭 弓道 装身具 兵器 武器 刀剣 刀術 剣術 兵法 兵書 傅書 戦陣 殺陣 甲冑 鎧兜 支那 殺人剣。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。軍陳備要 救急摘方 正編・續編 平野元良著 嘉永七年・安政三年刋。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。乾山山水画帖 尾形乾山 末尾「享保十年乙已/尾形乾山翁壮年時作/陶弟/涛稚鑑」。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。古資料 大詔 大正9年(G374)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。@張瑞図 古詩冊 孤本 日本所蔵 検:支那 手稿 法書簡 唐本 漢籍 草書 書道 書法 拓片 碑刻 法帖 碑帖 珂羅版 篆刻石 旧拓本 印譜 古籍 印存。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。繪入 一休はなし 巻三・巻五(大尾) 元禄十三年三月吉祥日刋。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。細字本 哥枕秋の寝覚 有賀長伯 原本/元禄五年刋。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。山水美観 紀行文芸 大正年 温泉 宿 満洲 奉天 朝鮮 風俗 単色写真 風景 風情 民俗 旅行案内 地図 俯瞰図 鳥瞰図 木版画 蔵書印 線路図 俳句。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。關流算法 變形指南 梅坪處士福田廷臣撰 文政三年十月刻成。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。伊勢新聞年鑑 1992年版(G238)。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。1917年 何子貞 張遷碑 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓片 碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 趙子昴 何紹基。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。@朝日新聞 支那 中華民国 軍閥 孫文 国民党 生写真 北伐軍 張勲 将軍 袁世凱 大総統 黎元洪 徐世昌 段祺瑞 鉄血共和 張敬堯 岑春 黄興。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。@1930年 文字之史的研究 検索: 碑帖 拓本 原拓片 碑刻 法帖 瓦当 青銅器 珂羅版 支那 書道 篆刻 旧拓 印譜 唐本 漢籍 甲骨文 古建築 生写真。
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。本宮ひろ志 硬派銀次郎 サラリーマン金太郎 セット 俺の空 不揃い 85冊セット 送料無料。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。草彙 四巻 三島筱先生編輯。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。翰墨全書 十二巻元合本 寛永二十年刋。
みつか(自)らも、に(似)けなきこと(事)も出来ぬへき身なりけりと
こゝろ(心)うきに、えのとめ給はす、まか(罷)てさせ給ふへき
さま(様)、つきつきしきことつけともつく(作)り出て、
ちゝ(父)おとゝ(大臣)なと、かしこ(賢)くたはかり給てなん、
御いとま(暇)ゆる(許)され給ひける。@1938年 江南百題 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 蔵書印 書画 書道 南支 描写。いとこそからけれ。君子訓 上・中下巻 貝原益軒述。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白、髭黒大将、玉鬘の姫君を宮中から退出させる》
《尚侍の君(玉鬘の姫君)はまったく不都合なことに
なったとお思いになって、
(玉鬘の姫君)「こんなことならもう愛想のよいそぶりはお見せすまい、
男女の間柄というものは、きまってこうしたわずらわしいものだったのだ」
と思うと、もうあとはきまじめにとりつくろって控えていらっしゃるものだから、
帝(冷泉天皇)も思いどおりの》・・・・度を過したお言葉も仰せになれず、
「そのうちだんだんなじんでもらえるだろう」
とおぼしめされるのであった。道行盡抄入 山田清作編 米山堂 1934.7 稀書複製會, 第8期第21回 会報付。帝(冷泉天皇)は、
(冷泉天皇)「そういうことなら仕方がない。童子問 上中下巻合本 伊藤仁齋。誰よりもまずあなたを思っていたのに、先を越されて、
今ではその人の・・・・・《ご機嫌とりに汲々(きゅうきゅう)としているのだからね。反古齋半谷序肉筆画譜 安政二年序。
在中不能安居,于是便造出必退出的理由来,
再由父内大臣等巧言,冷泉帝方始准退出。外謳字引 謡曲字引。我比人先上,
在却落在人之后,要仰承人鼻息。1942年 日本の鋳金 初版 限定3000部 検索:銅鏡 南部鉄器 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 剣術 戦陣 甲冑 弓道 支那 武士道 殺人剣。冬姫は内大臣・通誠の養女。諸家髙点 俳諧雪月花 楓窓子編 弘化四年序刋。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。1942年 北支の自然科学 限定5000部 検索: 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 芸姐 生写真 革命党 妓女 満洲 総督府 古建築。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。神君様 御遺命記録 西上野國多胡郡馬庭村/傳右衛門。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。昔の古手今の新物 文月恨切子 上中下巻合本。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。1897年 男女諸礼法 松永清太郎 検索:茶道 華道 花道 剣道 茶の湯 生花 挿絵 絵本 絵図 文明開化 童蒙行儀 童学 頭書 絵入 躾方 古文書 躾法。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。1938年 同盟ニュース 日支事変 検索:支那 汪精衛 蒋介石 共産党 関東軍閥 憲兵 国民党軍 生写真革命党 日中戦争 満洲 総督府 張学良 古建築。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。習文軌範 秋月誠一 1~8巻。実母は近衛家女房(瑤林院)。@王羲之 蘭亭序 張金界奴本 原寸大 玻璃版 検: 碑帖 本拓本 墨拓 原拓 魏碑刻 法帖 珂羅版 支那 書道 善本 篆刻 旧拓 印譜 唐本漢籍 趙子昴。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。古書北武蔵の伝説 410頁 大正時代に書かれた本 1978 普及版 冒険探検好きな人向 今読んでも面白い 埼玉県を中心とした隠された情報を読み。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。日本 演説大家集 ボール表紙 福澤諭吉肖像画入。
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。三條實美公履歴 全五巻 元帙入 東久世通禧詞 田中有美繪。
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。@1942年 支那を行く 初版 検索:革命軍 孫文 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 北伐軍 風景照片 姑娘 地図。@1939年 支那 260図 検索: 汪精衛 蒋介石 関東軍 陸軍 国民党軍 憲兵 租界 生写真 革命党軍 孔祥熈 GHQ 満洲 総督府 軍備 軍閥 禁書 張学良。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。1935年 興福寺断碑 蘭亭序 王羲之 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本漢籍 石門頌 神品。1766年 明和3年 書画冊 肉筆 雲山樵叟 漢詩 漢文 南画 漢学 朱印 洒金 篆書 支那 宋朝 詩人 真山民氏 真西山 真徳秀 漢籍 感懐詩 書道 印譜。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。@江戸期 唐画傅印 印譜 木版刷 検:支那 金石篆刻 王鐸 王羲之 呉昌碩 拓本 張瑞図 董其昌 黄庭堅 趙子昴 書道 董其昌 李公麟 文徴明 米元章。印譜 薛涛詩句 検索: 印存 封泥 印社 印文 印学 金石篆刻 唐本漢籍 石鼓文 落款 雅印 遊印 支那 朱印 鐘鼎文 古璽 缶盧 呉昌碩 鄧石如 鈐印。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。@1911年 絵本 武将勲功記 検索:武道 武具 装身具 剣道 兵器 武器 刀術 剣術 範士 兵法 兵書 大名 甲冑 幕府 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。屏風怨霊 四谷怪談 全五巻 皇都/山月庵主人作 天保六年刋。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。1930年 歴史写真 雑誌 検索:蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党 北伐軍 中華民国 極東大会 革命軍 兵士 満洲事変 帝国 南京政府 古建築 壮丁 孫文。中条流産科古寫本(仮題) 延寶三年正月寫 中条帶力・大森兵部左衛門。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。@朝日新聞 支那 事変 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫中山 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 張作霖 張学良 胡漢民 蔡元培。@1926年 王羲之 黄庭経 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓片 碑刻石 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王右軍 趙子昴 書聖。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。@1829年 文政 古書 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀術 剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。@1939年 現代 支那 智識 検索:汪精衛 蒋介石 関東軍 陸軍閥 国民党 将軍 租界 生写真 革命党 孔祥熈 満洲 総督府 禁書 張学良 支那 古建築。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。@1917年 中華民国 清国 革命軍 袁世凱 粛親王 段祺瑞 張勲 黎元洪 馮国璋 唐紹儀 黄興 孫文 梁啓超 蔡鍔 張継 陽化龍 支那 生写真 軍事地図。和國 女文選寳訓大全 大坂心齋橋筋順慶町/書林/柏原屋清右衛門板 寶永七歳寅十一月吉日刋。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。1937年 王羲之 法帖 検索:柯羅版 玻璃版 原色 支那 原拓片 北魏碑帖 書法帖 法書道 印譜 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本拓本。@1930年 世界地図帳 検索:軍事 戦前 支那 中華民国 大日本帝国 大英帝国 満州帝国 満州事変 台湾 朝鮮 樺太 庫頁島 満鉄 支那帝国 北洋政府。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。英國史畧 上下巻合本 沼津金屬活字版 渡部一郎。f22092011〇明治布告布達 海兵隊服制 海兵砲 大礼服 明治6年〇和本古書古文書。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第31帖。@1900年 修身教典 検索:礼儀 武道 武士道 公衆道徳 孝行 忠君愛国 傳書 図版 木版画 支那 唐土 訓蒙 木刻本 和紙 線装本 和綴 浮世絵 彫版。粟蒔集 巻之五 冥々編。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。@1944年 職官考 検索: 官職 官職 漢籍 日本紀 実録 本紀 姓氏録 類聚 貞観儀式 政事要略 西宮記 周礼 漢書 後漢書 魏志 碩鼠漫筆 神名帳考。@1934年 書芸 印譜 書道拓本 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書法 善本 篆刻 旧拓 印譜 唐本 漢籍 銅印 雅印 拓片。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。@拓本 漢淮陰侯設背水陣処 検:碑帖 本拓 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 書道 善本 篆刻石 旧拓 印譜 唐本 漢籍 王羲之 書法書 掛軸。東京才人絶句 上下巻 春濤森魯直編輯。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。白楽天の有名な漢詩です。1942年 日本美術史図録 限定4000部 検索:仏像 佛像 佛画 壁画 版画 浮世絵 春画 枕絵 屏風 掛軸 玻璃版 珂羅版 原色版 彫刻 絵巻 巻子 金堂。文武五人男 淨瑠璃本 近松門左衛門作。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。王義之 草書帖 検索:玻璃版 珂羅版 原寸大 墓誌銘 支那印譜 法書帖 金石篆刻 王鐸 呉昌碩 拓本 張瑞図 董其昌 黄庭堅 趙子昴 王義之 米元章。1925年 唐拓多宝塔碑 顔真卿 李鴻章 検:支那 法書金石篆刻 印譜 王羲之 呉昌碩拓本 張瑞図 董其昌 黄庭堅 趙子昴 唐本漢籍 碑刻法帖 米元章。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載。@1930年 故宮週栞 検索: 唐本漢籍 支那 金石篆刻 碑刻 碑帖 印譜 善本 中華民国 古籍 原拓本拓 書道 法書 法帖 印存 古墨 古物陳列所 北平。0028623 道二翁道話 初編ー6編 全15冊揃 中沢道二 心学。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。白楽天の有名な漢詩です。@1933年 信楽焼図解 検索:図鑑 鑑定 木版画 木版刷 銅版画 石印 和本 唐本 漢籍 蔵書印 宝雲社 陶器全集 支那 瓷器 古窯 登窯 自然釉 茶陶。王鐸 行書冊 書道法帖 検索:墓誌銘 支那 印譜 法書金石篆刻 印存 北平 呉昌碩 原拓本 張瑞図 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版 玻璃版 米元章。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。痘疹救逆方 駿河/三浦貞固恭輔著 寛政八年三月刋。漢金文集 二玄社 検索:法書道 印存封泥 篆刻 金石鼓文 拓片 篆書 支那 呉昌碩 朱印 青銅器 甲骨文 金鼎文 毛公鼎 大克鼎銘文 全型拓本 兵器。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《えおほ(思)す》・・・・さま(様)なるみた(乱)れこと(事)も
うち出させ給はて、やうやうこそはめ(目)なれめ、
とおほ(思)しけり。大将はかくわた(渡)らせ給へるをき(聞)ゝ給て、
いとしつ(静)こゝろ(心)なけれは、いそ(急)きまと(惑)はし結ふ。粉体工学便覧 粉体工学会 日刊工業新聞社 送料無料。増訂本草備要。「さらは。物こりして
また出したてぬ人もそある。0028587 十符の菅薦 全4冊揃 文学御用掛・近藤芳樹著 明治9年 従駕日記 明治9年の奥羽 ・函館巡幸時の日記、歌。1936年 国華 珂羅版 玻璃版 検索:唐本漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印譜 宣紙 白棉紙 明朝 唐画 掃葉山房 扇面画。人より
さき(先)にすゝ(進)みにし心さしの、人に・・・・・《をくれて》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
大将(髭黒大将)は、こうして帝(冷泉天皇)がお越しになったことを
お聞きになると、いよいよ心配でたまらず、あわてて尚侍の君(玉鬘の姫君)の
宮中からのご退出をおせきたてになる。当の女君(玉鬘の姫君)も、
(玉鬘の姫君)「このままでは、あってはならぬ事態も生じかねない身の上であった」
と情けなく思っているので、とても落ち着いてはいらっしゃれず、
そこは父君の内大臣などが、退出おさせになるべき手順は、もっともらしい口実を
さまざま作り出し、上手にご配慮になって、やっとお暇を
いただくことがおできになるのだった。豊稼録 大藏永常著 暁鐘成画 文政九年刋。中華民国 燐票 検索:火花 火柴 煙標 五色旗 鉄血共和 国民党軍 煙草 青天白日満地紅旗 孫文 北洋政府 租界 洋行 憲兵 辛亥革命 北伐軍 支那。
これに懲(こ)りてもう二度と参内(さんだい)させないと言い出す人があっても困るから。
なんともつらいことよ。かいのしつく 擢滴。牛科撮要 附録/驥科 梅林堂壽梓。
昔の誰やらの例を引合いに出したくなるような心地がする」
とおっしゃって、帝(冷泉天皇)は、心底から残念なこととお思いあそばす。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。@1684年 和漢朗詠集 検索: 絵本 図版 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 満州 套印 武英殿本 聚珍板 仕女図 木刻 印譜 唐画。装束圖式 上下巻 元禄五壬申十月日刋。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
She did not wish to seem coy, but she was confused at evidences
that he shared certain tendencies with lesser men.
She did not seem very friendly, he was thinking,
but doubtless she would change as time went by.
Higekuro was very restless indeed.
She must go away with him immediately, he said.
Somewhat concerned about appearances herself,
she contrived a plausible excuse with the expert assistance
of her father and others and was at length able to leave.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward e Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
髭黑大将知冷泉帝玉鬘之事,大担心,
催促玉鬘退出去。松本蘭疇横書マクリ。唐本漢籍 王文治 行書 王夢楼 王禹卿 乾隆進士 淡墨探花 検索:墓誌銘 支那 印譜 法書帖金石篆刻 羅振玉 呉昌碩 拓本 董其昌 黄庭堅 王義之。
他玉鬘道:“今朝退出之后,一定有人心生,
不肯再来。真使我心至。@1941年 旅雑誌 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 台湾 朝鮮 満洲 熱河 北平。1930年 剣道指南 検索: 武道伝書 兵書 範士 弓道 武器 支那唐土 武士道 殺人剣術 活人剣 兵器 戦陣 殺陣 装身具 甲冑 鎧兜 弓箭 武術 弓道。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。王羲之 聖教序 王右軍 柯羅版 玻璃版 原寸 検索:支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本拓本。@宋拓 柳公権玄秘塔 唐本漢籍 有正書局 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓片 碑刻 法帖 珂羅版 支那 書道 善本 篆刻 旧拓 印譜 王羲之 趙子昴 書聖。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。戴曼公先生痘療用法 玄孫成美撰次。@1937年 軍事 地図 軍力 中華民国 支那 新京 朝鮮 国民党 共産軍 汪精衛 満洲国 台湾 蒋介石 日中戦争 日支事変 総督府 南京 関東軍 中央軍。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。白楽天の有名な漢詩です。@1921年 宋拓十七帖 有正書局 唐本漢籍 検: 碑帖 王羲之 拓本 墨拓 原拓片 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 趙子昴 書聖。@1939年 支那 下層民 検索: 古建築 生写真 上海 事変 風俗 中華民国 商売 商人 国民党 風景 満洲 軍閥 総督府 洋行 租界 銭荘 票号 手形。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―30B
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。鶉衣餘興 小革籠 半掃菴野有著。日光御山之絵図。白楽天の有名な漢詩です。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。1956年 中国古都勝跡 検索: 生写真 老照片 観光 風俗人情 唐本 漢籍 支那 善本 線装 名勝古跡 古建築 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 老北京。@1932年 支那風俗春秋 初版 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 風景 北京 北平 新京 奉天。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。怜野集(和歌)春夏秋冬戀雜部全揃 清原雄風編 文化三年序。@1927年 唐人絶句詩鈔 検索: 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 紅印本 套印 武英殿本 聚珍板 仕女図 木刻本 印譜 絵本 唐画。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。江戸本屋出版記録 中巻 安永八年~文化十二年 書誌書目シリーズ10。@1948年 橋と塔 初版 検索:古建築 支那 朝鮮 満洲 総督府 生写真 挿絵本 図版 佛塔 舎利塔 北海白塔 北京 慶州 石橋 敦煌 喇嘛廟 牌楼 古塔。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。田川鳳朗賛・信月齋画幅。印譜 木版刷 花押 江戸期 和紙 金石篆刻 石印存 原拓本 雅印 雅号印 遊印 石鼓文 金文 鐘鼎文 朱印文 印章 落款識 鑑定 山紫水明処 清間堂。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。日中戦争時 杭州西湖 パノラマ 全景図 葉書 検索:支那 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築。狂歌讀方しなさため 桃李園自跋 文化八年十二月刋。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。改補外科調宝記。枯野集 木僊(駝岳)編。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。@真草 書家座右 汲古堂 検索:支那 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 紅印 套印 絵図 聚珍板 綉像 木刻 印譜 絵本 唐画 光緒。鎔造化育論 上中下巻 元合本 江戸期寫本。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。幕末明治期俳人寄書幅 見外・卓郎・爲山・永壺他。秋月菴牧之画賛三節刷り額 鈴木牧之 覆製品。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。南嶺遺稿 全四巻 早印良摺 寳暦七年九月吉日刋。天下無双関東一流 脱走丸 牒合所/関東利根川通藩代相傳/屯集堂。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。@1920年 宋拓 蘇東坡 西楼帖 検: 碑帖 本拓本 墨拓 原拓片 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 旧拓 印譜 唐本 漢籍 王羲之 蘇軾。文化四年雜録集(仮題)鄧禹入長安ニ謁宗廟・馮異奉勅破赤眉・岑彭撃ツ田戎泰景・王霸固守垂惠・大漢一統歌大平他。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。地球度割圖解 安田雷洲著。痳疹要論 麻疹要論 法橋那賀山章元先生著 木村蒹葭堂序。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定
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